『感覚』|レノルマレン魔法学校

 あの感覚が抜けない。

「あー……ねむ」
 六月の晴れた日の放課後。
 クライドはまた実験室にこもってるし、女子たちは帰りにカフェに行くってはしゃいでたし、リオンもアールも勉強熱心だから演習場に行ったらしいし。誰もいないしすることもないし、なんだか暇だ。ぼーっと一人で教室から窓の外を眺めていると、校庭の方の窓から吹いた風が俺の帽子を攫いそうになった。
「うわっ、風つよ……」
 胸あたりまで伸びた黄色い長髪は、俺の首にまとわりついて少々邪魔だ。左手で帽子を押さえ、空いた右手でまとわりついた髪を整えた。
 少々暖かい気温は、風を心地いいものにさせてくれる。
「あら、ロイド?」
 聞き馴染みのある落ち着いた声に、首だけ向ける。
「委員長、よっす」
「よ、よっす……!」
 成績優秀優等生のライラ・イザード。別に委員長でもなんでもないのだが、なんとなくそう呼んでいる。シャノンたちも呼んでいるし、本人も嫌がっていなさそうだし、特に問題はなさそうだ。
「どしたの、忘れ物かなんかでもした?」
 カフェに行ったと思っていたので、まだ学校にいた事が素直な疑問だった。
「ううん、ちょっとね、あまり体調が良くなくて……保健室に行ってたのよ」
 そう言うと委員長は自分の席に座り、荷物をまとめ始めた。手ぶらで教室に入ってきたあたり、よく考えれば帰ったわけでは無かったことはわかった。
「体調大丈夫かよ? 早く帰ってゆっくり休んだ方がいいんじゃねーの?」
「そう……なんだけどね……」
 何かが突っかかっているような、消化しきれていないような表情で俺を見る委員長に、何か声をかけようと言葉を探した。
 探したが、何も思いつかなかった。フランセナ先生の戦闘実習からまだ三日。実習で俺は委員長のことを殺している。別にそれは授業の一環で、何も悪いことではないことは、俺も委員長もわかっている。
 わかっているからこそ、俺の手に残る感触が、感覚が、消えることなく泥のように気持ち悪くまとわりつく。それが喉元までこみ上げてきて、俺の黒い部分を曝け出そうとするのだ。だから今の俺がどんな言葉を発そうと、委員長にとっては黒の他にない。
 別に委員長は、あのことが引っかかっているわけでは無いかもしれない。それでも、俺が何を言っても無駄なのかもしれないと思わされる。
「……ロイド」
「……何?」
 口を開いた委員長を見ると、委員長はしっかり俺の目を見て、不安そうな、心配するような表情で、俺の方に立ち寄って俺の手を握った。
「……委員長? どしたよ……」
「……怖かったの」
 その一言で俺の中のモヤが一気に広がる。もはや視界さえもくらんでしまうような錯覚だ。
 動けない、口を開けない、手を握り返すことも出来ない。
 委員長も怖かっただろうが、俺も今怖いと感じている。状況があったにしろ、ああやって人を傷つけることが出来た自分がだ。
「……あ、いいんちょ……さ、俺……」
「あ、違うの。ロイドのことは怖くないわ、今は」
「……今は、か……」
 俺の目を見ている委員長の目が曇りのない澄んだもので、俺はそれを濁らせてしまう気がして、目線を手先にやった。
 委員長に握られている手も、柔らかい感触と生暖かい体温に、ドロドロに溶けて形が残らなくなりそうな気がした。そのまままた委員長の首にまとわりつくのではないかと思ってしまい、今すぐこの場から離れたくなる。
「……ロイドがね、人を殺すことに躊躇いが無かったら、どうしようって……それが怖いの」
「――え……? 委員長、は……」
 彼女が優しいのは誰もが知っていた。けれどあんなことをされた後でも、自分以外のことを考えている委員長は、
「俺のことを心配してんの?」
 それでも俺のことを考えている。
「……うん」
「……な、なんだよ……そんなさ……少しは自分の心配してやれよ。委員長の身体は、委員長のもんなんだからさ」
「そうね、ありがとう」
 俺の手を握る委員長の両手は、安心感で包もうとしてくれるようだった。
「じゃあさ、俺も少し話させて」
「いいよ」

『その手、離してくれねーとさ、今にでも俺の手が委員長を殺しそうなんだよ』

 なんて言葉じゃ伝わらないことはわかっていた。
 委員長は何も悪くは無い。俺の計り知れないくらいの広さで、恐怖に打ち勝っているのかもしれない。それかもしくは、俺だからか。
 上手く喉から出てこない言葉と感情に、ある意味苛立ちを覚えそうになる。もしここで間違えたら、俺は委員長と居られなくなる、きっと。
 ただ、頑張って飾ったところで、伝わる自信も無かった。
「……手さ、気持ちわりーんだ」
 振り絞った言葉に、瞬間後悔をした。
「えっ、あ、ご、ごめ――」
「っあ、いや、そーじゃなくて」
 手放そうとした委員長の手を、今度は俺が握りしめた。今すぐにでも離したくて、いつまでも離したくない。
「俺の手で、もう委員長のこと触っちゃいけない気がしてさ。俺も俺が怖い。怖いんだよ」
 顔を上げると、不安定と、きっと俺を見て驚いている、という気持ちが混ざった、すぐにでも崩れていきそうな委員長がいた。
「……ごめん」
 堪えきれず、俯いて火照る目を委員長に見せないように、泣いた。
「本当にごめん。俺、こんなつもりじゃなかった。怖かった。委員長のほうが怖かったの知ってる。もう嫌われてもいいって思おうともした。でも無理だ……これから委員長のこと考えて、普通でいられる気がしない。なにもかも俺のせいだ。……だからごめん」
「……ロイド……」
「……俺のこと嫌いになっていいよ」
「ロ――」
 俺は悪い人間だと思う。意気地無しでもある。委員長の言葉を聞くのが怖くて、ただただ言葉を吐くだけ吐いて、目も合わせずに教室から出た。
 すれ違う学生にも見られたくなくて、廊下の床ばかり見ていた。ひたすら歩いた。
どうしても熱くて生ぬるくて溢れてくるそれは止まってくれなかった。

 さっきまで握ってくれていた委員長の手の感触は、もうきっと感じることの無い感覚になる。
 俺にはもう、最善策なんて掴めやしないと、刺されるように感じた。