『敬語』|花朝ヱスケヰプ

 クレは未だに僕に敬語を使う。

「今日、一葉茶屋に行きませんか?」
「……唐突」
 思わずクレの方を見やった僕は、彼女がいつもの笑顔で話しかけてきたことに少しだけ安心した。いつもの声色で、何気ない言葉だった。
「えへへ、やっぱりちょっと心配で……」
「まぁ、僕も正直心配かも」
「でしょ?」
 姫が花朝の姫でなくなり、一葉茶屋で働き始めてもう数ヶ月経っているが、過保護なのだろうか。そう年齢に違いがない僕たちが姫を心配するのは、失礼なのかもしれない。
 それでも彼女が今まで受けてきたことを考えると、どうにも気が気でない。一葉茶屋の人たちが心許ないわけではないのだが、花朝の外のことを何も知らなかった姫が、大変な思いをしていないかが心配だ。
「行きましょう、ナキ!」
「……うん」
 楽しみだと言わんばかりのクレに、急ぐと危ないよ、と伝えた。

*********

「ナキさん! クレさん!」
 歩きで一葉茶屋に向かい、見えてきたところで僕たちの名前を呼ぶ声がした。僕たちにすぐ気付き、一葉茶屋の入口で桃色の髪を揺らした小雪さんが振り向いた。お元気そうでなによりだ。
「お久しぶりです、小雪さん」
「姫の様子が気になってしまって」
「だと思いました!」
 どれほどわかりやすいのか、単純な僕たちは一葉茶屋の皆様には敵わない。それもわかっていたかのように、小雪さんは少し得意げに、嬉しそうに笑った。
「櫻ちゃん、中にいますよ! 入ってください! 文乃、千種、華代さん、櫻ちゃん! ナキさんとクレさん来ましたよ!」
 店の中に向かって大きな声を出した小雪さんに、
「え、ほんと?」
「わぁ、お久しぶりです!」
 と、千種さんと文乃さんが表に出てきてくれた。見た感じお二人はお変わりないようで、あの時を思い出し、また今を見て安心した。
 千種さんは前かがみになり、洗ったばかりの両手で、身につけている前掛けを払って僕に話しかけた。
「元気だった?」
「お陰様で。もっと街のみなさんから恐れられると思っていたのですが、そんなこともなく……。なんだか僕たちのこと知っているようなのですが……」
「あー、それ?」
 街では僕のような目が変化した者はやはり一目置かれる。花朝府部隊の、ハコとススがいい例だ。呪いで目を犠牲にするなど、普通に考えて近寄り難いだろう。
 だが、僕たちが花朝府部隊を辞めてから、思ったよりもそんなこともなく、しかも大体「あー、その人たちか」というようなことを言い出す人が多いのだ。
「なにかご存知なのですか?」
「だって櫻の命の恩人だろ? ナキさんとクレさんは」
 櫻姫の名前と、命の恩人という大きな意味を浴びせられた。
「……なるほど」
 なんとなくの理由を把握した僕は、千種さんの嬉しそうな笑顔に安心を覚えた。
「どういうこと?」
 クレは理由がわかっていないようで、こちらに振り向き僕の顔を覗いた。
 疑問と不安が入り交じって、けれど答えは悪いものでは無い。なんとなく、素直に落ち込みも喜びもできないクレは困っているようだった。
「……姫が、一葉茶屋に、この街に、欠かせない存在になったってこと」
 そう、自分が口にすると、僕たちのしたことは無駄じゃなかったことに、今までの自分全てが救われた気がした。
 あの夜花朝から逃げ出したことも、一葉茶屋に逃げ込んだのも、呪いから救い出したのも、全部が今の姫に繋がっている。
「……ナキ、クレ」
 千種さんよりも奥から、聞き覚えのある、繊細で優しい声が僕たちを呼んだ。
「……姫!」
「お久しぶりです、ご無沙汰しております」
 小雪さんと文乃さんと同じ着物、前掛けをし、お盆を両手で抱えるように持って、小走りでこちらに向かってきた。
「こちらこそ、また会えて嬉しいです」
 サビからもらった髪飾りを揺らし、姫は以前より、微笑む姿が美しくなっていた。
「何か不便はしていませんか? 花朝と外では違うことも多いでしょう……」
「ありがとうクレ、慣れるまでは大変でした。けれど一葉茶屋の皆様がいろいろと教えてくださり、不便はしていません」
「……そうですか」
 安心した僕たちは、やはり少し緊張していたようで、重くのしかかっていたものが軽くなった気がした。
 目の前にいるのは、今まで泥水の中でもがいていた様な姫ではなく、水面から顔を出し、しっかり息ができていると言わんばかりの心地よさそうな笑顔の姫だった。
「何言ってるの櫻ちゃん、櫻ちゃんも一葉茶屋の仲間だよ」
「文乃さん……」
 文乃さんは、小雪さんや千種さんに向けるものと同じ笑顔で、そう姫に言った。
「……ありがとうございます。そうなれていたら嬉しいです」
「なれてるよ! もう櫻ちゃんは一葉茶屋には欠かせないからね!」
「……はい!」
 僕たちの心配など、少しも要らなかったらしい。
「あら、久しぶりね二人とも」
 茶屋の奥から聞き覚えのある頼もしい声が聞こえ、振り向くと、変わらず凛々しく、誰よりも頼もしい華代さんが綺麗な歩き方でこちらに向かってきていた。
「華代さん! お久しぶりです。お変わりありませんか?」
「変わってるように見える? 心配ないわよ。私たちは相変わらず楽しくやってるわ」
「それは安心しました」
「……心配になって、来たんでしょう?」
 何もかもを見透かされている僕たちは、やはり一葉茶屋の皆様には何も言い返せない。
「そう、なんですが……心配は要らなかったようです」
「要らないわよ。貴方たちも元気そうで良かった」
「ありがとうございます」
 花朝にいた頃とは違い、親を知らない僕たちでも、親と話しているような安心感とに包まれる。華代さんは僕たちの肩を軽く叩くと、
「今日はゆっくりしていきなさい。お代は要らないから」
 と、心からの笑顔で言った。
「そんな……!」
「いいの、素直に受け取りなさい。少しはこの街にも慣れなさいな」
「……では、お言葉に甘えて」
「ええ、そうしなさい」

「……姫」
「はい」
「……今、幸せですか?」
 きょとん、としたのも束の間。姫は髪飾りにそっと触れた。
「はい……っ、とても! 幸せです!」

*********

 一葉茶屋を後にした僕たちは、少し冷えた風にあたりながら、夕焼けの照らす街を二人で歩いた。
 何事も無くよかった、安心した、という会話の裏で、僕は僕たちはいつまでも変わらないことが、引っかかり胸の奥底から湧いて出てきた。
「――それで、姫のことを……ナキ?」
「……え、あ……何?」
「……どうかしましたか? 心ここに在らず、でしたが……」
「いや……その……」
 変わらないことを嬉しむべきなのかもしれないが、変わらないことは本当にいい事なのだろうか。
 クレは、昔荒れていた僕を変えてくれた一人だ。僕は僕が変われたことが、今となっては最善だったと思っている。あのままの僕でいなくて良かったと、変えてくれたクレには感謝をしている。
 けれどその分、当時から変わらないクレを見ていると、なんとなく寂しい。クレは僕に、距離があった時と変わらず接してきている気がしてしまう。
「……クレはいつまで敬語なの?」
「――え、……?」
 虚しい。その言葉が当てはまっている。
 きっと僕は今、そう顔に書いてあるのではないだろうか。クレを困らせていることは、クレの顔を見ればわかった。
「……癖ですよ。気にしないでください」
 眉間に皺を寄せ、苦しそうに微笑んだクレは、僕の心を圧迫した。
「……変なこと、言っていい?」
「……」
 らしくないことはわかっていた。こんなにも他人に自分の感情をぶつけるのは、今までなかったかもしれない程に。
「僕は、クレと姫に救われた。二人が居なかったら、今の僕は絶対にいない。誰も頼らないで、ひたすら自分のためだけに強くなって、右目も失ってたと思う。あの時クレが止めてくれなかったら……うん、考えたくないくらい。だから……僕は――」
「ナキ」
 必死に話していて気付かなかった。名前を呼ばれて、顔を上げた目線の先には、息苦しそうなクレの笑顔があった。
「ナキ、まだ苦しそう」
「……だって、クレはあの時から変わらないじゃないか。まだ僕はそんなに、クレと遠い場所にいるの? 僕のこの手じゃ、クレには届かないの?」
 目が熱い。息が苦しい。身体が重い。
 手が動かない。クレに触れてはいけない気がする。僕はずっと、クレのような光にはなれない。
「違うの、」
「何が違うんだよ!」
「ナキ!」
 両肩の衝撃と、身体への振動で、思わず大きく息を吸った。
 僕の肩を掴んだクレの両手には、クレが一番力を込めているとわかるほどに、熱がこもっていた。必死さに思わず言葉を発することを忘れる。
「……距離なんてない! ナキは私の大切な相方です! ……昔も今も、確かにかける言葉は同じかもしれない。けれど、ナキのこと、私は怖いだなんてもう思ってない! ……言葉が気持ちの全てでは無いです」
 こんなに声を荒らげるクレは、僕が自分に呪いをかけた時以来だ。僕のことを思ってくれている言葉だ。
 嗚呼そうか、クレはとっくに変わっていた。隣にもいてくれる、言葉をかけてくれる。変わっていないと感じていたのは、僕だけだった。
「……ごめん」
「いいの、私こそ――」
「情けないなぁ……」
 僕は、溢れ出てくる感情を見られたくなくて、地面を見てうずくまった。
 謝罪の気持ちか、嬉しさか、わからない。けれど僕は、今までで一番安心しているだろう。
「ありがとうナキ。私は今、嬉しいです」
「……僕も」
 丸まった僕の背中を、温もりのこもった、一番頼れる手が撫でた。ゆっくりと、今までの言葉を飲み込んだ。
 腕の隙間から入ってくる赤い夕日の熱も、僕の熱には敵わないほど、僕は感情的になっているようだった。
 僕はもう少しだけこうしていたくて、深呼吸が出来るようになるまで、二人で夕日に照らされていた。