『知らない人』|狂愛劇場

 マリアは〝ママ〟を知らない。
 レベッカのことをそう呼んだことも無い。マリアにとっては母のような人だとは思う。だが不思議とレベッカのことはそうは見ていないようだ。

「パパ、ママってどんなひとだったの?」
「ママ? うーん……どんな……」
 覚えていないわけではない。今でも鮮明に思い出せる声も、顔も、仕草も、つい先日のように感じる。
「そうだね、パパよりパパっぽかったかも」
「……? ぜんぜんわかんない……」
「……語弊が、あったかもしれない」
「ごへい?」
「うーん……」
 言葉に落とし込めない俺のことを、目を逸らさずに見ている。
「……かっこよかったよ」
 一言、それだけを残した。
「ふーん……」
「ふーん、って……思ったより乾いた反応だなあ。マリア?」
「だって知らないもん」
「まあ……そうだろうけど」
「違うの、ママをしらないからとかじゃないの。あのね」
 足を交互に伸ばして曲げていたマリアは、立ち上がったかと思うと俺に向かって何かを言いたそうに駆け寄ってきた。目線を合わせるようにかがむと、俺と同じ赤い目を見て、
「パパもかっこいいよ!」
 小さな手が俺の頭を撫でた。温かく、やわらかい、マリアにとって俺が全部だとそう確信した。
「マリアのこと、ママに見せてあげたかったな。こんなにいい子に育ってますよ、って」
「……マリアも、ママに会いたかったなあ」
「ママが生きてたら、きっとパパのことよりもマリアのことを可愛がっただろうね」
「……なんで……?」
 純粋な疑問だろう。マリアは、イヴは俺のことも好きなのに、どうしてマリアのほうが優先されるのか……といったことを考えているところだろうか。
「マリアが可愛いから」
「パパ? 同じこと言ってるよ?」
「……ちょっと、上手く言葉にできなかった」
「パパってば――」
「ごめ……あ、」
 ふと思い出して、マリアよりも上に目線が逸れた。
「パパ?」
「昔孤児院に居た子が描いてくれた、パパとママの絵があったなあって」
「! ママの絵!」
「しまってあるから……見る?」
「うん!」
「待ってね、確かここにあるはず……」
 目が輝き、声のトーンも背筋も伸びたマリアに、少し急かされつつも、健人が描いてくれた俺たちの絵を出した。
「ほら、パパ、似てるでしょ?」
「ほんとだぁ!」
「ママも似てるんだよ」
「髪、ながかったんだ! マリアといっしょ!」
「うん、一緒」
「マリアとママ、似てる?」
「……んー、面影はあるかな? でもマリアはパパ似かもしれない」
「そっかー」
 少しばかり沈んだ声色で答えたように聞こえて、一瞬不安にもなったが、すぐに口を開いたマリアは、
「マリアがパパに似てたら、パパはママのこと忘れちゃわない?」
 そう心配をしてくれた。
「……大丈夫、忘れない。だってマリアがここにいるのは、ママが居たから。ママがパパのこと、好きになってくれたから」
 マリアに見るイヴの面影は、はっきりと何とは言えない。性格も容姿も、俺に似ている。けれど人を思う優しさは、これはイヴと同じだ。
「じゃあ大丈夫だねっ!」
 マリアは安心したのか、立ち上がっていつものようにまた絵を描いて遊び始めた。
「……大丈夫、だね」
 俺に似たことを少し心配しながら、イヴの面影をなんとなく感じていた。